pavlog

ウェブエンジニアがあれやこれやを書きます

継続することについて

f:id:paveg:20190206005551p:plain

 

継続は力なり」という言葉を良く耳にすると思う。

 

続けることの重要性、弛まず挫けずに続けていくことの大切さを端的に述べた表現

「継続は力なり(けいぞくはちからなり)」の意味や使い方 Weblio辞書

 

Weblio辞書にはそう書いてある。

有名な辞書である広辞苑にも同じように記載してあるはずだ。

 

そして、多くの人たちは「会社員」をしていると考える。

言い換えると「会社員を続けている」。

 

サラリーマン割合が87%の日本?起業・自営業も含めて割合を比較!

 

そして僕はこれから、駄文を書く。多くの人にとっては意味のない文章だ。

掃き溜めにゲロを吐いていた方が、きっと何倍も有益なはずだ。

 

嫌な何かを続けることは難しい

「当たり前だろ、何言ってるんだ」と思うだろう。

僕も読者なら間違いなくそう思う。

 

ただ、継続することのは本当に難しい。それが特に嫌なことなら尚更だ。

 

 

僕は今現在、この「箸にも棒にもかからないブログ」を2週間続けている。

 

もしかしたら多くの人は暇な人だと思うかもしれない。

もしかしたら多くの人はすごいと思うかもしれない。

 

ハッキリ言うとこのブログの執筆活動について、僕は嫌いだと思う。

理由は明白で、書き始めるまではとても腰が思いからだ。

加えて文才があるわけでもないし、誰かにとって素敵なものを持っているわけでもない。

 

継続するのは難しい、辞めてもいいことだから。

 

でも僕は継続している。誰にも見られずとも。

(もちろんみてもらう努力はする)。

 

継続してわかること

それは「向いているか向いていないか」である。

 

言うまでもないことだが仕事もそうだ。

 

ストレスを死ぬほど感じていることを続けるべきではない。

 

時に本音を言うことが難しいこともあるし、建前で乗り切らないといけないこともあるだろう。 

今はわからないが、僕に「例えば子供ができたなら」、恐らく…いや、確実にそうなると思う。

そして、逃げられない時には「向いていないこと」を続けなければならない。

 

いや向いていることを知らないからそう思うだけなのかもしれないけれど。

 

本題

 

先にも書いた通り僕はブログを(たった2週間ではあるが)続けている

時間というコストをかけてまで、こうして誰も読まないはずのブログを書いている。

 

嫌いなことの継続は難しい。堪え難い。

 

でも、「向いてないこと」がわかるまでは続けてみたい。

向いてないこと」がわかった時にはじめて辞めれば良いと思う。

 

まとめると

続けること」が重要なのだ。「向いているかいないか」を知るために。

 

僕は2年間「筋トレ」を継続した。

半分の1年間は「筋トレについて考えること」も継続した。

「筋トレ」は好きではないが、「筋肉が育つこと」は好きだった。

 

今では体は大きくなり、服が着れなくなった。「継続は力なり」とはこのことである。

「筋トレは向いていなかった」が、続ける目的ができてしまった。

 

 

そして、結果、この文章はまとまらなかった。

 

最後に

 

アルコールの入った頭で、特にネタもなく書くことに困った僕は、大衆にチラ裏にでも書いておくべき駄文を垂れ流している。

 

きっとこの時間は、無駄だが、「継続」するために必要だったのだ。

そして明日、この記事が公開されてから後悔するのだろう。それでは。